お休みのすごしかた!!
昨日はお休みでした。
贅沢に美容院からのデザート(*⁰▿⁰*)
女の子らしい1日に。
他ショップの方から美味しいよーと教えてもらったチョコレート屋さんに。
北谷アメリカンビィレッジにある
TIMELESSと言うお店で
ティラミスとミルクチャイを♡
すごく美味しいです。
こだわりチョコレートをお求めの方にはすごくオススメのお店です。
お休みネタで、
つい最近やってみました!!!
線香花火、笑。
私の1番大好きな花火です。
他のメンバーからは「普通の花火はー?」と突っ込み。
私が用意したのは線香花火オンリーです(`・ω・´)!!
ちなみに…
ここからは線香花火好きな方だけ読んでください。
線香花火の由来
江戸時代の俳諧選集である洛陽集には、葦やよしよりもう少し細い藁(わら)の先に
火薬を付けた花火を香炉に立てて遊んでいる女性の様が詠まれているが、
香炉や火鉢に立てた花火の格好が仏壇に供えた線香に似ているところから
「線香花火」 の名前がついたと言われている。
2種類の線香花火
線香花火は2種類ある。
一つは「線香花火の由来」で述べた通り、葦や藁の管の中に火薬を入れたもので、
遊び方も手に持って上方45度に向けたり、火鉢などに立てて楽しむ 「スボ手牡丹」 と
呼ばれるもの。それに対して「長手牡丹」 と呼ばれる線香花火は、藁ではなく和紙を使い、
そこに火薬を付けて縒ったもので、下に垂らして燃やす。
スボ手牡丹は、細い葦や藁の入手が容易ではないためか江戸ではやがて廃れて
いくが、関西では今も線香花火といえばスボ手のほうがなじみが深い ほど深く文化として浸透していく。
「スボ手牡丹」が廃れていった江戸でやがて人気を集めていくのが「長手牡丹」で、
江戸の長手、上方のスボと分かれるのも文化の違い、風土の違いなのであろう。
歴史を本で読んだり学ぶ楽しさは、事実を踏まえながらいろいろな可能性を想像する
ことでもある。「スボ手牡丹」に対して「長手牡丹」があるように、「鍵屋」といえば「玉屋」
であり、「スボ手」を産み大流行させたのが鍵屋 なら、「長手」を考案して大流行させた
のが玉屋 であると考えることも許されるはずだ。
線香花火のその後
線香花火の3大産地といえば、三河 、北九州 、信州となる。いずれも歴史的な人物や
名将との関連の中で、鉄砲や火薬が発達していったところである。
昭和の時代までいずれの地域も線香花火が生産され、隆盛を誇っていたが、
昭和50年(1975年)以降、中国から安い長手が入ってくるようになり、その打撃は次第に
大きくなっていく。
現在、中国から入ってくる線香花火は年間で約2億本と言われているが、
品質は別にして縒り手の賃金の差から生じる価格差では到底太刀打ちできず、
はじめに昭和60年(1985年)、信州で線香花火を製造する全店 が廃業に追い込まれた。
信州に続いて平成8年(1996年)、岡崎で全店が廃業し、そして平成10年(1998年)、
九州の最期の一店も廃業 したことで、花火業界の流通から日本製の線香花火は完全に
姿を消し、日本製の線香花火の歴史が閉じられたのである。 ———-しかし!?
江戸文化の象徴とも言うべき国産の線香花火がなくなる。
「それは決してあってはならないこと」 山縣社長の決心
「純国産線香花火」の復活
「それは決してあってはならないこと」
そう決心し、平成10年、当時の煙火協会副会長の武藤さんと若松屋の佐野会長に、
国産花火復活へ向けた思いを語り、立ち上がった 。
それから2年かけて 平成12年10月、昭和の頃のものにも負けない線香花火ができ
あがった。名前は ——-「大江戸牡丹」 。
ついに日本製の線香花火の歴史が再び開かれたのである。
その後の平成15年(2003年)には、7年ぶりに 九州の名品「不知火牡丹」 が再発売された。
これらの線香花火はその歴史や誕生の経緯とともに、世界中で紹介され、
「線香花火はLifeだ」 とも言われた。
だそうです。
ネットより٩(^‿^)۶