琉球王国?
今日は早朝からビーチへシュノーケルに行ってきました!!
朝一ということで、ほかのお店のお客様はいらっしゃらなかったので、ブルーリンクのお客様3名のみ!!!
ビーチが貸切でした
いついもは、そこそこ混み合っていますが、とってもラッキー!!!
そして海の状況は、これも朝一なので透明度もなかなかよかったですよ~~
魚たちも朝早かったからなのか、サンゴからなかなか離れませんでしたが、餌付けをはじめると、すごい食いつきよう!笑
おなか減っていたんでしょうね♪
さて、今日は沖縄観光といえば!!
についてです。
まずは首里城!!!
という方も多いはず☆
今日は首里城について紹介します
琉球王国の政治、外交、文化の中心地として繁栄を極めた首里城。
1945年の沖縄戦で焼失した首里城は、1992年、沖縄の本土復帰20周年を記念して国営公園として復元されました。
また中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には、高い文化的・歴史的な価値があるとされ、首里城跡は、2000年12月、日本で11番目に世界遺産に登録されました。
鮮やかな朱色に彩られたその姿は、王国の歴史、文化の息吹を伝える雄姿であり、沖縄のシンボルそのものとなっています。
そもそも、首里城とは一体なんでしょうか??
首里城は沖縄の歴史・文化を象徴する城であり、首里城の歴史は琉球王国の歴史そのものです。
首里城は小高い丘の上に立地し、曲線を描く城壁で取り囲まれ、その中に多くの施設が建てられています。
いくつもの広場があり、また信仰上の聖地も存在します。
これらの特徴は、首里城に限られたものではなく、グスクと呼ばれる沖縄の城に共通する特徴。
他のグスクは首里城との競争に敗れ滅んでしまいましたが、首里城はグスクの特徴を保持しながら新たな発展を遂げていきました。
首里城は内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成しています。
正殿をはじめとする城内の各施設は東西の軸線に沿って配置されており、西が正面となります。
西を正面とする点は首里城の持つ特徴の一つであり、中国や日本との長い交流の歴史があったため、首里城は随所に中国や日本の建築文化の影響を受けているそうです。
正殿や南殿、北殿はその代表的な例です。
首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもあります。
また、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて、王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点にもなりました。
さらに、首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられており、美術・工芸の専門家が数多く活躍していました。首里城は文化芸術の中心でもありました。
1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われました。
1930年代には大規模な修理が行われましたが、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼してしまい ます。
戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなりますが、大学移転後に復元事業が推進され現在のようになりました。
復元された首里城は、2000年12月には、首里城跡が世界遺産に登録されています。