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28 2015/1

ぜっけいです

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沖縄情報!!

日本本土とは異なり、四季が比較的不明瞭な気候であるため、冷涼な気候に適した食材(品種)が栽培・入手しにくい一方、亜熱帯性の食材が多く見られます。使用される野菜類が本土とはやや異なり、消費量日本一の干し椎茸を除けばキノコ類の使用も少ない。また、亜熱帯に属するが香辛料はあまり使用されず、伝統的な味付けは塩、味噌、鰹節や昆布を多用する、日本料理の範疇に収まるものであります。海に囲まれた多島の県であるが、魚料理があまり発達していないという特徴を持ちます。

また、沖縄は、明治時代になるまで、日本本土の朝廷や武家政権の直接統治下になかった地域である。日本本土では、律令時代から江戸時代に至るまで、米に基く税収(租や年貢)を安定的に確保する関係上、肉食を禁止・制限する命令が何度も出されたことにより、米が貨幣にもなる神聖な作物として位置付けられる一方で、肉食が稲作農耕に害をもたらす穢れとされ、長らく禁忌とされてきた。しかし、沖縄は、米を税の中心として位置付ける日本本土の政権の統治下になく、肉食が穢れと見なされなかったために、家畜を肥育して食用とすることに抵抗のない食文化が存在していました。

琉球王朝時代には外交上の必要性から薩摩藩や交易範囲の中国・東南アジアなどの影響を受けた。特に中国からは医食同源の思想を受け、「クスイムン」(薬物・くすりもの:「薬になる食べ物」の意味)、「シンジムン」(煎じもの)と呼ばれる民間療法的な料理も多く伝えられています。かつて王族や上級士族が居住した首里では洗練された宮廷料理が、また戦前までは男性の社交場でもあった辻遊郭では華やかな宴席料理が発達し、久米に定住した閩人の末裔は、中国由来の行事料理などを伝えました。

沖縄の伝統的な食文化には、地理的に近い薩摩料理や福建系の中華料理(台湾料理を含む)の影響が強いが、歴史的経緯により、食材の流通ルートや交易範囲が変化したことも大きく影響している。沖縄料理に欠かせない昆布は北海道など沖縄県以外が産地である(後述)など、その歴史は素材に至るまで複雑なものとなっている。また気候・流通的な理由により、保存性に優れた乾麺や麩、海藻といった乾物、塩漬けの豚肉などを用いた独自の料理が発達した。さらに、石灰岩質で稲作にはあまり適さない土地柄のため、戦前は上流階級以外は甘藷を主食とし、第二次世界大戦後しばらくは米軍の配給食に依存した食生活であったことも本土とは異なる点であります。

明治以降は、本土の一般的な食文化にも影響を受け、沖縄そばなど明治時代以降に誕生した料理も現在では広く沖縄料理として認識されている。台湾が日本統治下に入ると出稼ぎ労働者として沖縄県民が台湾に渡り、台湾人も沖縄に渡航して料理店を開くなど交流が深まり、沖縄の食文化も台湾料理の影響を受けた。また移民が奨励され、多くの県民がブラジルやアメリカ合衆国ハワイ州、フィリピンなどへと渡航したことで、これら地域の料理が紹介され定着している例もみられます。

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