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11 2015/1

沖縄そばの歴史2^^

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沖縄そばの伝統の味を知る残り少ない一世となった勝連さんによると、フェイラは約三十年前は中央市場(メルカド・ムニンシパル)が主流となっていたらしく、その頃はまだ沖縄そばはなかったという。
フェイラを訪問した翌日の日曜日、中央市場を覗いてみた。
市場の中は野菜、果物類のほか、穀物、日用品に混じってパステルなど軽食を出す店が軒を並べている。
四十年にわたって中央市場で野菜などの販売を行っているという福地章仁さん(六一、二世)は、「二、三十年前はここにいる九〇%近くが日系人でしたが、今は少なくなる一方です」と嘆く。沖縄そばのフェイラの人気が、中央市場での日系人の比率を少なくしているようにも見える。
しかし、具志堅サエコさんは「作り方が同じでも場所によってそばの味は違い、同じフェイラでも店ごとに固定客がつき、他の店では食べない人も多いのです」と屋台群の生存競争の激しさをしみじみと振り返る。勝連さんの叔母にあたるサエコさんだが、フェイラをやっていた頃は、別々の店でしのぎを削っていたとも。具志堅さんたちが六年前に日系人に譲った店はすでに無く、体力以外に味、経営面での手腕も問われる。
「今でも何年かぶりに昔のブラジル人のお客に会うと、『どこに店を出しているんだ』と聞かれることがあります」とサエコさんは苦笑する。
一九五八年に渡伯した夫の具志堅弘さんはフェイラを出店する前は肉の加工業など二十三年間にわたって携わってきた。しかし、スーパーマーケットの大型店などが進出し始め、普通の個人商店では割に合わなくなってきたという。
「私たちが始めた当時は小さなフェイラで、ブラジル人の客もそばにしょう油を入れて麺だけを食べていました」と具志堅さん。今ではブラジル人もそばの味を覚え、麺とスープをすする姿があちこちで見られる。そば以外にも焼きそば、焼き飯やシュラスコなども販売していることが、一般のブラジル人客が集まる一因にもなっているようだ。
「ここに来るのは知り合いに会うため」
フェイラに来ると何十年も会っていなかった知り合いに会うこともあるという。沖縄県系人のコミュニケーションの場が今やブラジル人にも深く愛されるようになった。
今や屋台の経営は沖縄県系の二世、三世が九〇%を占め、非日系人の従業員も数多く携わっている。
「フェイラは増えることはあっても、なくなることはないと思います」と現役の勝連さんは力強く語る。
翌朝同じフェイラの場所を訪れると屋台群はすでになくなっており、設置された屋根組みだけが残されている。前夜の活気とは対照的な静けさが辺りを包んでいた。
カンポグランデのウチナーンチュたちの「ゆいまーる」(結びつき)の気持ちがフェイラを支えている。(おわり・2001年9月サンパウロ新聞掲載))

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