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20 2016/7

沖縄空手

空手発祥の地沖縄

世界に5千万人以上の愛好家を持つといわれる空手は、ここ沖縄の地で生まれ、研鑽され、日本本土や世界に広がりました。
琉球王国成立以前の三山時代、中国との交易などで武術に接した者の影響も受けながら、ウチナーンチュとしての武的感覚で突き・蹴りを始めるようになった事が、沖縄での空手・古武道の始まりと言われています。

この琉球発祥の徒手空拳は、島津侵入後の武器統制などによりさらに昇華され、「手(てぃー)」と呼ばれる武術に発展するようになります。

これが現代の空手に受け継がれていくことになります。

その後も、武芸の好奇心にあふれた先人たちは、手(てぃー)に棒や鎌など生活道具を武具として用いたり、中国武術の武具を取り込み古武術も生み出していきます。手(てぃー)はのちに「唐手(とうでぃー)」と呼ばれるようになり、さらに「唐手(からて)」から「空手」へと名称を変えていきます。

名称は変わっても沖縄の空手家は空手の精神や礼節、型を師から弟子へと受け継いできました。ですから、沖縄には決してぶれることのない「空手の真髄」が現存します。一方で、   沖縄の空手には様々な流派が誕生しました。このような多様性を許容する広い心も空手の特徴といえるでしょう。

明治時代に入り、琉球処分(廃藩置県)によって琉球王国が解体されると、徐々に旧慣が廃止され近代化が進められていきます。空手はそれまで、首里の士族や、那覇・泊の士族系・久米村系など限られた人々によって継承されてきましたが(首里手(すいでぃー)・那覇手(なふぁでぃー)・泊手(とまいでぃー)といわれます)、明治の中期頃からは一子相伝の秘術的要素は薄れ、空手に興味を持つ一般の人たちにも開かれたものになります。

明治後期から戦前にかけては、松村宗棍や糸洲安恒、松茂良興作ら手(てぃー)の本質を究めた武士(ぶさー)に弟子入りした「新たな空手世代」が育ち、さながら百花繚乱のようでした。彼らが師の空手を受け継ぎ自らの切磋琢磨を加える中で、様々な流派が生まれていきます。

また、明治後期には学校教育に空手が取り入れられ、その後昭和12年に「空手道基本型12段」が制定されます。制定に加わったのは、「新たな空手世代」の宮城長順、花城長茂、屋部憲通、喜屋武朝徳、仲宗根源和、知花朝信、眞栄城朝亮、城間眞繁ら諸先生です。流派の開祖や道場師範、学校指導者、兵式教官、著者・研究者など、いずれも空手の普及・拡大にひとかたならぬ功績のある方ばかりです。

 

引用元

http://karate-otkk.jp/ja/

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